舞台「禁断の裸体」を観てきました

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シアターコクーンで上演中の「禁断の裸体」を観てきました。

主演は内野聖陽さん、寺島しのぶさん。演出は三浦大輔さん。原作はブラジルのカリスマ劇作家、ネルソン・ロドリゲスという方だそう。

別の舞台を観に行っていただくフライヤーの中に、これのフライヤーもあってね。

そのタイトルと、なにやらヤバそうな雰囲気がただよう お写真とに引っ張られて、急きょチケットを取り、観に行った次第です。

観終わって劇場を出るときの、まぁなんだろねホッとした気持ち(笑)とにかく濃ぃい!胸やけしそうに濃い。さすがブラジル作品。体感温度高いったらありませんわ!

舞台セットも映像美術も豪華でステキ。そして個人的には音楽がすっごいツボでした。

だがしかし、色んな人に

「観たほうがいいよ!」

とは勧めづらい作品ではあるかなー、性描写すんごいキツいし。

そういえば、チケットに「未就学児入場不可」と書かれてるけど、これ「18歳未満入場禁止」にした方がいいんじゃないのと思ったよ(笑)

まあ、このポスター観て子どもを連れてくる人も いないでしょうけどね

さてそれで、ここからはネタバレであらすじなどを書くんですが、かなり性的な表現が多くなる予想です。

わたくしブログに下ネタ平気で書きますが、それでも今まで書いたことない単語が出てくるだろうなーという気がしております。

セックスの話が苦手、という方はお読みにならないことをおすすめしますよ~。

 

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とある高級住宅地。帰宅したエルクラーノ(内野聖陽さん)は、家にいるはずのジェニー(寺島しのぶさん)を呼ぶが留守の様子。

メイドはジェニーから預かったといって、テープを差し出す。

なにかの冗談かとテープを再生するエルクラーノ。ジェニーのメッセージは、

「これは死んだ人間の声よ。私はこれから死ぬ。このテープを最後まで聞いて」

というものだった。

 

時間はさかのぼり、物語はエルクラーノとジェニーが出会う前に。エルクラーノは妻を乳がんで亡くし、打ちひしがれ日々を過ごしていた。

エルクラーノにはそりの合わない弟パトリーシオ(池内博之さん)がいる。パトリーシオは過去に破産したことがあり、自堕落な生活を送っている男。経済力も発言力もあるのに助けてくれなかった兄を憎んでいる様子。

エルクラーノを悩ませるのは弟だけではない。同居している、独身のままの3人のおば(木野花さん、池谷のぶえさん、宍戸美和公さん)と、19歳の息子セルジーニョ(野村周平さん)は狂信的なクリスチャン。

過剰な禁欲生活を送り、エルクラーノにも同様の生活を強いている。

セルジーニョは母を亡くした衝撃から立ち直れず、毎日墓と会話している。苦悩するエルクラーノに、パトリーシオは娼婦ジェニーを紹介することにした。

女を亡くした悲しみは女で癒せというのだ。

禁欲的・道徳的な生活を 自分に架しているエルクラーノは聞き入れないが、パトリーシオが置いて行った酒とジェニーの写真に惹きつけられ、ジェニーの元へ行ってしまう。

 

ジェニーとの愛欲に溺れるエルクラーノは、おばたちにもセルジーニョにも責め立てられる。しかしエルクラーノはジェニーと結婚しようと決意。

心の均衡を保てなくなっているセルジーニョを、おばたちから引き離し旅行へ行かせ、その間に結婚しようとするがうまく行かない。

まだ敬虔なクリスチャンであろうとするエルクラーノは、結婚するまではジェニーとセックスしないと言う。しかしそれはジェニーには理解できないことだった。

家も服も与えられ、売春宿とは雲泥の差の暮らしをしながらも、エルクラーノと過ごせないことに次第にイラだち、ジェニーは出ていくと言い出す。

ジェニーを失うことは耐えられないと泣くエルクラーノに、「私の靴にキスしなさい」と脚を差し出す。靴にキスするエルクラーノ。それを引き金に、ふたりはまた愛欲の日々に落ちる。

エルクラーノの様子を見に来たセルジーニョはその時、庭で裸のまま激しく絡み合うエルクラーノとジェニーを見てしまい、吐きながら去っていく。

セルジーニョは性的不能者であり、性嫌悪障害だった。

 

やがて息子に見られたことを知らないエルクラーノの元へ、おばの一人が泣き叫びながらやってくる。

エルクラーノとジェニーの関係にショックを受けたセルジーニョは酒場へ行き、酔ってけんか騒ぎを起こした。

そして入れられた留置所で、ボリビア人の泥棒にレイプされたというのだ。

出血が止まらず死にかけている、と聞かされ、病院にかけつけるがセルジーニョは会ってくれない。息子をレイプした男を殺そうと警察へ行くが、男は人種保護のためすでに釈放されたという。

ジェニーとも別れようとするが、ジェニーは出て行かない。そんな目にあったセルジーニョを慰められるのは、娼婦だった自分しかいない、という。

セルジーニョは叔父のパトリーシオにしか会おうとせず、エルクラーノを堕落させたジェニーを殺そうと考える。しかしパトリーシオは、復讐するならむしろエルクラーノとジェニーを結婚させろという。

隠されたある企みのもと、そんなことは知らないエルクラーノとジェニーは結婚した。

ジェニーは結婚する直前から、セルジーニョに夢中になっていた。性的不能はあいかわらずだが性嫌悪はなくなったように見えるセルジーニョ。一緒に暮らすために、エルクラーノと結婚したというジェニーに、セルジーニョは旅行に行くことになったという。

セルジーニョに去られ悲しみに暮れるジェニーの元に、ご機嫌なパトリーシオがシャンパンを持ってやってくる。そんな気分じゃないというジェニーに、パトリーシオが告げたのはとんでもない事実だった。

セルジーニョはひとりで旅行に行ったのではなかった。自分をレイプしたボリビア人の泥棒と暮らすのだという。

ジェニーのテープはすべてをつげ、「ざまあみろだわ!あんたも、あんたの息子も、あんたの弟も!おばさんたちもあたしの胸も!」とヒステリックな叫びで終わる。

引き出しから銃を取りだしこめかみに当てるエルクラーノ。しかし撃ったのは自分の頭ではなく、語り終えたテープレコーダーだった。

 

南国の人は本当に、こんなに年がら年中セックスのことばっかり考えてるんですかね(笑)

主な登場人物の中で、性的に倒錯してないのは 娼婦のジェニーだけなのが面白い。ジェニーは何かっていうとセックスしたがるけど、欲望が健全なのよね。

エルクラーノは健全な性欲を「人格者にふさわしい禁欲」という覆いで隠してる。そんなことするから、弾けた時に過剰にフり切れちゃうのにね。適度に楽しんでおけば、こんな崩壊は起きなかったのにさ~、と思っちゃうわ。

弟のパトリーシオは初体験がヤギ(つまり獣姦)だし、息子のセルジーニョは性嫌悪障害なのに男にレイプされるし、3人のおばさんはみんな処女のままで、性行為は罪だと思ってる。

フツーの人はいないのか?!

特におばちゃんたちがね~、敬虔なクリスチャンで穢れを知らないままおばちゃんになってるわけだが、その内情はセルジーニョを溺愛し、風呂にまで入れてやってて、気持ち悪いことこの上ない。

おばあちゃん3人が若く美しいセルジーニョを、泡だらけにしてうっとりと洗ってるシーンはぞっとして、思わず

「きもちわるい」

とつぶやいた。そしたら、知り合いでもない隣の席の人がうなづいてました(笑)

 

セルジーニョは初っ端から精神的にバランス崩してます感がハンパない。エキセントリックで美しい息子役は周平くんピッタリだったけど、この役は挑戦だったでしょうね~。

舞台上の表現とはいえ衆人環視の中、素っ裸になるわ 凌辱されるわ しのぶさんと絡み合うわ。しのぶさんとのベッドシーンで妙に優しい顔してると思ったら、ラストにはボリビア人に愛撫されて恍惚の表情浮かべてる。

娼婦だけど性根は純粋なジェニーに 感化されたのか?と思ってたら大間違いで、壊れ方のベクトルが他に向いただけ。この役を21歳という若さで表現するのは、しんどかったろうなぁ。

父親やおばたちに対する復讐(自分をこんな風にしたのは大人たち)から、ボリビア人の元へ行ったのかも知れない。でも残酷な方法で、抑圧されてた快楽の扉が開いてしまったとも思えて、それがまた胸くそ悪い。

 

しのぶさん演じるジェニーは「胸にしこりが出来て死ぬ」という強迫観念に縛られてて、それが幾度となく出てくるのね。

なんでそんな思いに囚われてるかというと、伯母が乳がんで死んでいて、切り取った乳房を見せられたのがトラウマになってる上に、母親に「悪いことをするとおっぱいにしこりが出来て死ぬよ」などと脅されたから。

娼婦になるような境遇に生まれつき、アッパーな暮らしに憧れてるジェニーは、エルクラーノとの暮らしで満足できるはずだったのに出来ない。居場所が違うってことなんだろうけど、セルジーニョを愛してしまうところがなんだか腑に落ちなかった。

しかし時間が経ってふと、「セルジーニョが男にレイプされたからか」と思いついた。この作品世界の文脈の中では、「有色人種の男に凌辱された男の子」ってもう最悪に穢れた状態なのよね。

だから自分以上に悲惨な立場に陥ったセルジーニョに憐れみを感じ、それが愛だと思っちゃったんだろうと。

娼婦だったジェニーにとってセックスは愛情表現じゃない。彼女にとってはおそらく、「憐れみ」こそが愛だったんだろうな。

だから自分の強迫観念と一致する「乳がん」で妻を亡くしたエルクラーノにもハマッたのかも・・・と感じたわ~。

↑↑↑↑↑ ここまで ↑↑↑↑↑

 

皆さん本当にものすごい脱ぎっぷり・・・そしてからみあいっぷり。内野さんしのぶさん周平くんの真っ裸、何度観たかしら。「またパンツ脱いでるよ!」ってそのたび思った(笑)

ポスタービジュアルと タイトルから受ける印象以上に、エラいことです。こんなのコクーンクラスの劇場では観たことないわ~、さすが三浦大輔さん演出(笑)

舞台上でラブシーンあってもさ、抱き合ったところで暗転、そして事後からまた芝居がスタート、みたいな感じになるでしょ、たいがい。

そんな事ではこの崩壊を描けない!といわんばかりの行為表現で、あっけにとられたわ~。舞台上で素っ裸になるのみならず、しのぶさんを抱え上げつつ激しく動いてる内野さんには、衝撃を通り越して尊敬の念が沸きました。

この芝居を1日2回公演やる日があるとか信じられない。演者の皆さん、身体壊しませんように(真剣)

小劇場では出来ないであろう仕掛けも色々。可動式のセットもステキだったし、マッピングを使った映像表現も、効果的に使われててすごく良かった。

音楽はサントラあったら欲しいくらいです。躍動感あるけどちょっと不快にも感じる、猥雑な音楽が作品世界にピッタリでした。

パンフレットもたくさん記事があって嬉しい

 

悲惨な出来事が次々起こるし、「えっ?!」「あれっ!?」の連続で、明るく楽しい話じゃないんだけど、フりキれ過ぎてて滑稽に感じてくる。

家族の崩壊だけでなく、宗教に頼りすぎること、モラルを頑迷に守ることへの疑念、警察権力への批判など、さまざまな問いかけが内包された作品でした。

人間の裏側、欲望を描いた作品を観て「皮膚感覚」を感じることはあるけど、ここまで「臓物感覚」を感じる舞台はなかなか無いと思う。

私はもう50代で、若いころみたいに自分の性欲を持て余すようなこともない。でもセックスにここまで振り回されてる人たちを見てると

「自分はどうなの?」

と問いかけたくなってしまうわね。私は禁欲とは無縁の生活を送ってきたし、たぶんこれかもそうだろうと思う(笑)

でも、なんらかの理由で自分の欲望を抑えてきた人たちには、痛い部分もあるかもね、と感じるお芝居でした!

「禁断の裸体」は2015年4月25日までBunkamuraシアターコクーンで、4月29日・30日は大阪 シアターBRAVA!で公演です。

自分は分別ある大人だと自覚できる方はぜひ観てください。裸が正視できない人は観ちゃだめよ~(笑)

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