野村萬斎さんの舞台「マクベス」を観てきました

野村萬斎さんが演出・出演なさった舞台「マクベス」を観てきました。

2016年の公演は4回目の再演だそうで、私は世田谷パブリックシアターで観ましたよん。

マクベスは登場人物が多いはずなのに、萬斎さんのマクベスは出演者が5人。プログラム内の萬斎さんの言葉を借りれば、「マクベス夫妻と3人の魔女の、2つだけ」。

こんなにそぎ落としたマクベスは初めて観たし、狂言ならではの表現も多く、とても斬新かつ「原始的な演劇」だと感じたお芝居でした。

 

あらすじはとても有名なので簡単に。

 

スコットランドの国王ダンカンは、反乱軍を鎮圧した将軍マクベスとバンクォーに褒賞を与える。特に気に入っているマクベスには、謀反を起こした領主の領地(コーダー)を恩賞として与えると決める。

マクベスとバンクォーは、闘いを終えて帰る途中、荒れ地で3人の魔女と会う。魔女たちはマクベスを王になる人と呼び、コーダーの領主と呼んだ。その時はその予言を信じる気にはならなかったマクベスだが、領地に戻り、自らがコーダーの領主になったことを知る。

それで予言を信じる気になったマクベスは、もうひとつの予言「王になる人」も気になり、自分は王になれるのではないか、と考え始める。

その野望を知ったマクベス夫人は、自分たちの城に泊まりにくる王を、殺してしまおうともちかける。マクベスは苦悩するが、夫人に叱咤激励され、自らの野望に操られ王を殺してしまう。

王位についてマクベスは不安と猜疑心にかられ、友であったバンクォーも殺害する。しだいに錯乱していくマクベスだったが、再び現れた3人の魔女の予言を信じ、自分は不死身だと思い込む。

一方、夫に王殺しを勧めたマクベス夫人は、罪の意識からやがて夢遊病になり死んでしまう。

やがて、猜疑に満ちたマクベスに妻子を虐殺された領主が、先王の王子とともにマクベスを討伐にやってくる。

自らを不死身と信じたマクベスは、その予言に2通りの意味があることを知り、討たれるのだった。

 

 

とにかく登場人物が多く、名前が似ててややこしいんだよね、マクベス。

印象的な名前をつけることに腐心していたと思えるシェイクスピアが、この作品では夫人にだけ名前をつけてない。マクベス夫人、マクダフ夫人というように。

それはマクベスと一心同体だから、マクベスの内の「良心」と「悪意」だから、っていう解釈をよく聞くね。私もそうなのかなって思ってたんだけど、今回鈴木砂羽さんのマクベス夫人を観てたら、なんか違うようにも感じたの。

砂羽さんのマクベス夫人は、母性あふれるマクベス夫人だった。人格者であるはずのマクベス夫妻が、自らの欲で破滅に向かう話ではあるんだけどさ。

マクベス夫人は、夫が迷っていることの、背中を押しただけ、とも受け取れて、それはそれでなんだか怖いけど(笑)

 

シェイクスピアの作品って、シリアスなものにしても喜劇にしても、おめでたい人、つまりおバカさんほど幸せになる、という印象があって。むやみに真面目で真剣なマクベス夫妻は破滅に向かっていくのが、なんともいえない。

そして萬斎さんのマクベスは、狂っていても悲しく美しい武人であり、それもまたなんとも言えない気持ちになったよ。

狂言的手法で登場人物を削りに削った、という萬斎さんの話がプログラムに載ってたんだけど、その中に出てきた「芝居は自己・相手・他者の3つで済む」という発想が、すごく面白いと思ったなー。

美術も日本古来の手法を使っていたし、シンプルで身体性の高さを感じる動きもステキでした。

そうそう、身体性といえば、3人の魔女を3人のおじさまが演じてらしたのも印象的。天井桟敷の方々だそうですが、魔女の他にも色んな役をやるの。でもその動きのいちいちが、凄い。

舞いとも違うし、なんだろねあの動き(笑)

魔女が冒頭に言う、「きれいはきたない、きたないはきれい」には、正と負は同居している、とか、真偽は表裏一体である、といった意味があるのかしら。としみじみ考えた観劇でした。

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