念願の!
ミュージカル「ネクスト・トゥ・ノーマル」を!!
観てきましたよ!!!
これね~、2013年の初演に私の愛する小西遼生さんが出演されてたんですが、その上演中はわたくし、まだやっと「牙狼」を履修中でございまして。
「えっ・・・なに・・・この人・・・好きかも・・・」
くらいの感じだったんで、舞台は観てないんですよね。
安蘭けいさんやシルビア・グラブさんは好きで、プレイガイドの「お気に入り」にチェック入れてたんで、バンバンおすすめが来ていたにもかかわらず。
観てないんです。
ばか────ァ!!!(超大声
その後、観劇関係で知り合う人知り合う人みんなに
「えっN2N観てないんですか?!まみろうさんアレ絶対好きだと思うよ!!」
と言われ、
「遼生さんのゲイブはヤバかったよ~繊細だったよ~妖しかったよ~」
とも言われ、心のハンケチを角が破れんばかりに噛んで過ごしておりました。
で、今回の上演ですよ!
2組をマチソワで観られましたし、マチネは前方、ソワレは後方と違うところから見られて、すっごいラッキーでした。
いやホント素晴らしかった~!
あらすじ
ダンとダイアナ夫妻は一見平凡な夫婦。思春期の息子と娘を持ち、郊外の家で暮らしている。
しかしダイアナの言動や行動は不思議でとらえどころがない。
彼女は10年以上、統合失調症を伴う双極性障害を患っていた。彼女にだけ見える息子ゲイブは、実は生後8ヶ月で亡くなっていた。
ゲイブを亡くしたことで心の均衡を失った母、その母をケアすることで手一杯の父に、娘のナタリーは不満と不安を感じている。
ナタリーのボーイフレンド、ヘンリーはナタリーの不安を受け止めようとするが、ナタリーはなかなか心を開けない。
ある日、処方された薬を捨ててしまったダイアナは症状が悪化し、心配したダンは評判の高いドクター・マッデンの元へダイアナを連れていく。
そこで提示された治療法は、電気けいれん療法だった。
治療が進み精神状態が安定したかに見えたダイアナだったが、記憶のほとんどを無くしていた。
これを機に、ダンは家族の楽しい思い出だけをダイアナに教え込もうとするが──
双極性障害って、「躁うつ病」のことなのね。私たちの年代には、そっちのほうが耳慣れてるかも。
統合失調症の方は主に考えがまとまらなくなるんだそうで、つじつまの合わない妄想や幻覚が見えたりするのだそうな。
なっちゃったら大変そうだな~とのんきに思ってましたが、日本でも100人に1人は症状があるんだそうですね。そんなに身近なものだとは。ビックリ。
しかしそういった症状の治療に電気けいれん療法、というのがなんともアメリカ的というか。
「おおざっぱ」とか「らんぼう」とか「ごうりてき」とかいう言葉が浮かぶわw
精神疾患の原因と経過、患者を支える家族の気持ちを扱ってるお話、だけど曲はもうガンガンにロック。
繊細でエグさもある内容なのに曲のエモさで高揚しちゃうという、わたくしの大好きなやつでございました。
いやもうホント、薦めてくれたみんな、私のことをわかってくれてて、ありがとう!!
って気持ちになったよね(感謝
わたくし本編は初見ですが、シアタークリエの「TENTH」でのダイジェストバージョンは観たのね。
そこで今回の安蘭さんチームに近いメンバーで観た時は、いまひとつ没入できなくて不完全燃焼だったの。
特にラスト、ダンがゲイブを見る、というか存在を認めるところは、ダイアナから心の不均衡を受け継いだように見えたというか。
まるで次はダンがゲイブに取り込まれてしまう(だから赤いシャツ=クレイジーを着ている)、みたいに。
でも今回本編を観て、その印象は払しょくされました。
赤がクレイジーを表してるとしたら、それは赤を着用してる人が狂ってるって意味じゃなく、外から「狂って見える」ことなんじゃないかと思った。
ゲイブを亡くしたこと、それによって妻が精神的に不安定になったこと、そこから生まれた自分自身の苦しみ。
それらに今さら向きあうことは、端から見たらクレイジーかもしれない。でも立ち直り生きていくには必要な道程のはず。
それまではダイアナを立ち直らせることに必死だったダンが、はじめて自分の悲しみに目を向ける。
本編を観たらそう感じて、決してバッドエンドじゃないよなぁと思いました。
望海さんチームはアメリカっぽく、安蘭さんチームはヨーロッパ寄りのアジア(伝われ)っぽく感じたのは、主にゲイブの違いかなと思った。
望海さんチームのゲイブ、甲斐翔真さんは初めまして、で「うわー--好きだ!」てなったw
声量あるし動きもダイナミックでパワフル。思春期のちょっと手のかかる息子。生きてる!って叫ぶ説得力たるや。
安蘭さんチームのゲイブは海宝直人さん。歌声すげー(知ってた
海宝さんのゲイブは息子というより、好きな男の若いころ、みたいな感じがした(伝わってくれ
海宝さん猫科よね。ひたひたとしなやか~に忍び寄ってくる感じ。なんだか体より先に、熱線のようなものが届くみたいに。
まさに思念体なゲイブでした。
屋比久知奈ちゃんは私、帝劇・日生・ACTシアターとわりと大きめな劇場でしか観たことなくて、今回シアタークリエで観て「あれこんなに小柄だった?」って思ったw
歌声もあいかわらず素晴らしいけど、お芝居もうまくなったなぁ。サイゴンのキムも楽しみ。
昆夏美ちゃんナタリーは安定のうまさでした。
状況から「ちょっと早く大人にならなきゃいけなかった子」の不安定さや、思う存分愛されたと感じられない空虚な気持ちがこちらに届いておばちゃん泣いちゃう。
それをそのまま親にぶつけられない賢さもね。
ダイアナの夫、ダンの苦悩と悲しみは共通ですが、渡辺大輔さんのダンからは困惑と焦りを強く、岡田浩暉さんからは悲しみと疲弊を強く感じました。
優しいけど余裕がない感じで、アメリカのパパも日本のパパとあんま変わりないなと思ったりw
ゲイブを認めるとこがもう・・・(号泣
ヘンリーはたったひとり、ダイアナの病気と無関係の部外者で、この芝居の中でのこの役、実はとても難しいのではないかと思った。
みんながダイアナを向いてる中、ひとりだけ視点が違うわけでしょう。
大久保祥太郎さんは実直(マリファナ吸うけど)で現実主義的なヘンリー、橋本良亮さんはおちゃめでちょっと軽薄、そして優しいヘンリーに感じましたよん。
そしてドクター・マッデン・・・
新納さんってどうしてあんなに妖しく怪しいの?w
でも舌先三寸でテキトーに診察してるわけじゃなく、真剣に治療しているし、良くなる確率の高い方法を選ぼうとしてるドクターに見えました。
経験豊富で自信に満ちた感じ。
もうおひと方、藤田玲さんのドクター・マッデンは学校を優秀な成績で出たんだろうな~って感じのドクターでした。全部数値で説明する感じのドクター。
玲くん貫禄ついたなぁ~。ダイアナの妄想でロックスターに見えるぶっ飛んだ瞬間、マジ素敵でしたw
念願のN2Nを観て一番強く感じたのは、「悲しいなら思う存分悲しみ続ければいいじゃない」ってこと。
ラストのダイアナは、その覚悟を決めたように見えたのよね。
回復しなければいけない?克服しなきゃいけないの?
困るのは悲しみにのまれて日常生活が送れない状態が長く続くことであって、悲しみを感じること自体じゃないでしょうに。
克服しろ、明るく強くあれ、ってのは、自分で架すのも厳しいのに、外から強要されるのはもう酷くキツい。
そのへんもアメリカ的だなと感じましたよん。
若くして望まない妊娠をして、そのまま家庭に入ることになった、というのもダイアナの心が壊れた要因のひとつなんでしょうね。
建築学科の学生だったってことは優秀だったんじゃないのかしら。実際、ナタリーは天才だし。
これから社会へ出て、仕事をしてキャリアを積んで、その上で家庭を持ち子どもを育てて・・・と予想していたことがすべて狂ってしまい専業主婦に。
それでも子どもの愛しさで、「これでよかったのかも」と思えていたのに死なせてしまった。
自分たちにもう少し知識があれば。もう一か所、違う医者にかかっていたら。助けられたかもしれなかった息子。
その悲しみ苦しみが長引いたら薬漬けにされ、それが10年以上続いたら、そりゃ「普通は壊れる」わけじゃないですか。
そうそう、私たちって正常であることを「ふつう」って言ってしまいがちだけど、「ふつう」と「正常」はちょっと違うよね。
むしろ「ふつう」は「通常」であって、「正しい状態」とはニュアンスが違う。
ネクスト・トゥ・ノーマルは「普通の隣」というより「正常からのちょっとズレ」みたいな感じなんでしょうかね。
ぴったり正常じゃないから治療する。でもその経過を見ると、いやこんなことやってたら大きく壊れるよって思う。
「少し異常な状態だから強制的にでも正常に戻しましょう」ってことが滑稽に映るし、そのただ中にいたダイアナとダンが、治療に頼らず悲しみの核に向き合おうとするラストが胸を打ちます。
ナタリーが過敏でストレスフルなのは、両親が自分のことをちっとも顧みてくれないから。
だと思ってたら、ラスト近くに「自分も狂うのではないか」という恐怖心に苛まれてることがわかるのもキツい。
務めて普通であろう、普通の家族はどうしてるの?こんな時はどんな風に対処したら普通なの?とほぼ強迫観念的に囚われてたんだなぁ。
すべて包み込む覚悟があるよ、というヘンリーの手を、やっと取る気になったのかな、ってところで終わるのがいいよね。
ふたりの未来はダンとダイアナの辿った道かもしれない。
でもこの経験をした若いふたりには、「正常であることに執着しない」おおらかさがあるのではないか。
それを感じるのもまた、観劇後のさわやかな気分につながったように思います。
友人知人が薦めまくってきただけあって、まんまと大好きでしたN2N。
愛する遼生さんが演じたゲイブを観られなかったのは残念だけど、観てたら間違いなく暴発(?)していたことでしょう
2013年当時はまだ息子も小学校低学年だったし、そうそう連日出歩けなかっただろうからタイミングがよかったのだと思うことにします
※翌年のスリル・ミーには通ってたじゃないかというツッコミは受け付けません
今回のN2N、できればもう一回ずつくらい観たい~!
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