ミュージカル「フランケンシュタイン」2020年版~その1~

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東京公演が終わり一段落してます

なぜか必ず、私が福岡に行ってる日に開幕するミュージカル「フランケンシュタイン」。

東京公演は2020年1月30日に千穐楽を迎え、私の北極 日比谷通いも一段落しております。

いや~これホントに、本当にね・・・酷い話だよ(笑)

私の初日(2020/01/09)の感想がこれだもの

語彙力どうしたw

 

フランケンシュタイン初演時の感想はコチラの記事でお読みくださいまし

ミュージカル「フランケンシュタイン」を観てきました
日生劇場で公演中のミュージカル「フランケンシュタイン」を観てきました。 韓国で作られたこのミュージカル、初演・再演ともに、かなりの人気でロングランされていたそうですね~。 日本版上演が決定、しかも私の愛する小西遼生さん(もはや おなじみのフ...

説明できなくて「理屈じゃなくイイ!」と言い切っておりますが、これは今年の再演も同じね(笑)

楽曲とキャストの芝居力で引き込まれる

いやしかしフランケンシュタインね~内容は暗いし悲惨だしゲスいし、

矛盾の玉突き事故で整合性も何もあったもんじゃない。

なんだけど、中毒性の高い曲と演者の熱量で圧倒される!

特に今回の再演、2020年版はね、一部ではハマることを表す「沼」を飛び越えて、「地獄」とまで表現されておりましたw

韓ミュあるあるの、余白といえば聞こえはいいが説明不足スッカスカ状態(失礼)をモノともせず

オタク特有の「余白を埋めこむために己の妄想力をフル稼働させる特性」を信じ切った製作さん、

あなた方に幸あれ!!(叫び

 

とはいえ、いくら観劇オタクが妄想たくましいと言っても、演者さんたちが物語を信じさせてくれないと話にならない。

それがもう本当に、再演は凄い!

以前、高畑淳子さんだったかな。何かでおっしゃってたんですが、

日常って『今日は大根が安いな」』とかそういうもので、そういったことを信じてふだん生きてる。でも役を演じてるときは、どんな奇天烈な設定でもそれを信じる。信じ込むチカラが芝居だと思う
※ニュアンスです

この言葉を思い出しましたよぅ。

小手先でやってない、皆ほんとうにフランケンの世界に生きてるからこそ、こちらも思うぞんぶん感受性と妄想力を爆発させられるというものです!

キャストさんたちの力量が爆アガり

さてさて、それで再演版の感想ですけど、あらすじなどはご存じである、という前提で語って参りますね!

まず訴えてるのがコレってのがわたくしらしいでしょう?

私の初日は柿澤ビクター×小西アンリでした。初演時、私は遼生さんのアンリがちょっと鼻につく時があってね。

ことさらイイ子っぽくしてるように感じることがあって、学級委員長か?みたいな。毎回じゃなかったんですけどね。

それが、再演アンリからは感じられなかった。善良で魅力的、内心に虚無を抱えていながらも、優しい大人の男でした。

もともと怪物の方は文句なしに好きなので、アンリに深みが加わった今、もはや無敵

その雰囲気があるからこそ、ビクターに対する包容力がハンパなくて、「君の夢の中で」で爆泣きできるのです・・・!

 

ちなみに、加藤和樹さんのアンリは「好青年」という印象。

小西アンリより年若で、心身ともに健康です!って感じがしました。

あまり孤独そうには見えない(小声)。普通に友だち多そうに見えるよ・・・って思う。

小西アンリは憧れる人はいても、寄ってくる人は少なそうな感じ。あ、なんだ高嶺の花か(違

 

再演を開幕2日目に柿澤×小西で観てコーフンし、この気持ちを残しておきたい!

しかし文章に起こす時間がない!!なのでダーッと語って動画でアップしようか?!と思って撮ったのよ。

しかし自分の萌え語りの熱さとキモさに驚愕して、すぐさま削除しました。デリートデリート。

怖い怖い!

初日の感想抜粋がこれ

お察しください。コニシにやられてます。

遼生さんの芝居と歌声に磨きがかかってるのも嬉しいんですが、再演フランケンを観て強烈に感じたのが、カッキーこと柿澤勇人さんのスキルアップ!

歌も芝居も本当にうまくなってて、ビクター・フランケンシュタインの苦悩も希望も絶望も、まざまざと迫ってくる。

遼生さんとの芝居の間合いも相性が良いと感じられます。

柿澤×加藤の組み合わせも良かったけど、おふたりとも太陽属性な感じがするのよね・・・。

そのためドロドロ感が薄まっちゃうのが、個人的には物足りないです ←

Twitterでどなたか、柿澤ビクターと小西アンリの芝居の呼吸がまるで餅つき、みたいなことおっしゃってて、爆笑しつつ共感いたしました(笑)

「中の人」の熟成が役に出ていると感じた

再演の柿澤ビクターはね、「実験は成功するとわかっている」感がすごく強い。ある意味の余裕。

それだけに、子どもっぽいイラつきが少なくて、そもそもが他の人たちとは次元が違うところに存在してる。

自分のことは誰も理解できない、それは仕方ないこと、っていう諦念を感じました。

カッキーのビクターは、私が持ってるご本人へのイメージも加味されてると思うんだけど、天才じゃなく秀才っぽいんだよね。

病的に努力できるタイプの秀才。体力気力に満ちあふれていて、必要とあらば人付き合いだってこなせる人に見える。

だからね、一幕最初の方の、ウォルターに言う台詞もさ、「ああたまには女の子と遊んだりしたのかな」って受け取れる

もうひとりのビクター、中川晃教さんは女の子と遊んではいなさそう(笑)

あっきービクターは天才。常人には理解、把握できない人。って感じがすごくする。

これも、私が持ってるご本人へのイメージに影響されてると思う。

歌がね~、もう歌がすごくて。芝居に納得いかない回があっても、歌で吹き飛ばされてしまうというね。

ある意味ミュージカルの醍醐味を味わえました(褒めてます

アッキーのお芝居って、日によってすごく違うのよね。ライブ感が強い。そのため、毎回ビクターの人格がちょっと違って見えます

すごく冷たく見えたり、虚勢を張ってるけど優しさが見え隠れしたり。

そのたび違う、というのは舞台演劇を観る場合よくあることだけど、あっきーの場合は悪く言えば安定しないので、芝居に重きをおいて観たいコンディションの時はちょっとキツかったかな~。

芝居がヘタっていうのとはちょっと違うんだけど、あっきーのビクターは歌での表現の方がこちらに刺さる!って感じです。

より顕著になった、ビクターとアンリの絆

再演版は観ているこちらにもある程度余裕があるといいますか、初演時は情報処理が追いつかなかった部分も、つかめたような気がしてる。

ビクターもアンリも、単純じゃないんですよね。劇中ではお互いを信頼するまでが異様に短いけど(曲の途中で仲良しになっちゃうし)

でも本当は、ビクターがアンリを助けるのも腕と頭脳が勿体ないからで、好意からではなかったんだろなって。

きっとビクター、アンリの論文を読んだ瞬間からルンゲに探し回らせてたんだろうな~(笑)

もし、安福さん演じる将校(エエ声)に1発でも打たれて、手が利かなくなって人体接合手術ができない、とかなってたら見捨ててたんじゃなかろうか。

アンリもビクターには、あぶねーやつだなくらいの印象しかなかったと思う。最初は。でも上官だしさ。

仕方なくついて行ったら真剣に研究に取り組んでるし、意気投合したというかね。自分の理論も腕前も、必要としてくれたし。

そうなのですよ、アンリの孤独って、周囲に誰もいない孤独で、ビクターのそれとは性質が違うんです。

アンリには誰もいない。きっと好いてくれる人もいただろうけど、アンリの根底にある「人間は利己主義で、いつかは死んで離ればなれになる」って思いから、他人と距離を置いてたように感じる。

対して、ビクターの孤独は周囲に人はいるけど、根本的に理解されない孤独。

エレンもルンゲも気遣ってくれる。でも考えてることや、やろうとしている事の根幹が、さっぱり分からない。

身内として愛情はあるけど、異質なものだという思いは否めないし、それがビクター本人にも伝わるんだろうなって。

アンリには「そばにいて離れず、自分を必要としてくれる」ビクターが、ビクターには「理論がわかる頭脳と、情熱を理解してくれる」アンリが現れた。

質は違えど、お互いに孤独を抱えていたふたりが、渇望していた「空虚を埋めてくれるピース」に巡り会っちゃったんだもの。そりゃわかちがたい・・・

ちょっとした演出変更が効果を高めてました

再演と初演では演出があちこち変わっておりまして、台詞がなくなってたり、短い曲がカットされてたりしました。

どういう意図でそうしたのかは、想像するしかないんですが、個人的にいちばんしっくりきたのが、音月桂さん演じるカトリーヌの人物造形の変更でした。

初演では痛めつけられた怪物を心配して、クマから助けてもらったお礼を言いにくる。

それが再演では、通りすがりにちょっと声をかけてみた、って感じに。

そうだよ!カトリーヌには、人を思いやったり心配したりしてる余裕なんてないはず!

韓国ドラマとかでもさぁ、劣悪な環境にいても健気なヒロインが、ことさら酷い目にあって

「ね、こんなに良い子なのに可哀想でしょう?」

って作りのものがあったりするよね。それは個人的にとてもイラつくのです。神経逆なでされる気がする。ってここで怒ってどうすんだ。

 

カトリーヌにとっては、怪物は犬か猫みたいなもん。それが意外なことに言葉が話せて意思疎通ができたんで、嬉しくなっただけ。

怪物に与える水おけに、わざわざ足を突っ込むのも、自分より下層の存在を望む心の現れよね。誰かが足を洗った水を飲んで生きてるけど、自分はケモノでなく人だという叫び。

それでも、相島一之さん演じるフェルナンドにそそのかされた時、一度は立ち去ろうとするのが救いかな~

結局は毒らしきものを、飲ませてしまうけど。カトリーヌも怪物も、環境によって悪鬼になったという点では同じね。

仏も鬼も人の中にいる。どの顔が強く前面に出るかは、環境と運次第ともいえる。

 

そういや、友だちと飲んでる時に

「もし、怪物とカトリーヌが逃げおおせてたら、一緒に生きていけたと思う?」

って聞いてみたら、そこにいた全員の答えが「NO」でした(笑)大人のオンナは容赦ないわね~

まだ、語りたいことの10分の1も語れてません・・・なのに長いw

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続きはコチラで~

ミュージカル「フランケンシュタイン」2020年版~その2~
終わりましたね・・・2020年版フランケンシュタイン・・・。 あ、この記事はこれの続きです 2020年2月24日、大千穐楽でした 初演に続き、大千穐楽を観られなかったわたくし。それだけが心残り・・・ しかし堪能いたしました。 楽しませてくれ...

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