母のこと

母が亡くなりました。

要介護と認定されてから約5年、物忘れは凄まじかったものの、徘徊などの問題行動は いっさい無かった母が。

突然、不可解極まりない行動で命を落とし、永い眠りにつきました。

母と最後に交わした言葉は

「お腹すいた」

「このパン食べな」

でした。


私はもともと母を人として好きではなかったし、認知症になってからは正直めんどくさいことが多く、持て余し気味でした。

私と母は21しか違わないので、このままずっと生きてられると老老介護になるよ、なんてことも話してました。

それでも、別れは緩やかに訪れるものだとばかり思っていたんです

少しずつ認知症が進み、身体の機能は衰え、しまいには「あんた誰」などと言うのかもね、と思いながらも、看取ってやれるものだとばかり思ってました

それなのに

死の瞬間は同居の家族にも気づかれなかった

寂しい逝き方をさせてしまった苦しさで自分が裂けてしまいそうでした

それでも、警察の方が捜査してくださったことで、母の行動の足跡が見え、少なくとも死を望んだわけではなかったらしいこと

最期は苦しまずあっという間だったらしいことがわかり

少し落ち着いたところです。


母は4歳の時に母親を亡くし、叔母が継母になり育てられましたが愛情を受けた記憶がないと話していました。

16で上京し、父と一緒になってからは、ジェットコースターに乗っているかのような日々だったらしく、しんどい思い出の方が多かったようですが、その話しぶりから刺激的で楽しかったんだろうなと私は感じていました。

30歳手前で離婚して、私と弟妹を必死で養ってくれたのですが、なにせ母自体がちゃんと躾けられたことがない。

幼い頃はわからなかった母の常識のなさ、世知のなさに、大人になった私はだんだん親しみを感じなくなりました。

母が事あるごとに言い聞かせてくれた思考法も、実は父の母(母からみた姑)の受け売りでしかなく、母自身は全く実行出来ていないことに、ガッカリしたこともありました。

それでも苦労して育ててくれたことは事実ですから、せめて老後はのんびり、なんの心配もなく暮らして欲しかった。

でも生活に苦労がなくても、母はきっと、孤独だったんでしょう。

そうなる原因は母自身に多々ありましたから、しかたないのですけどね。

家族に対してだけでなく、友人にも、親類にも、本当に自分勝手なふるまいをする人でしたから。

それでも私のいる場所が、母の安心できる場所だと、勝手に思っていました。

でもそうではなかった。

混乱が起きたとき、それがどこかは分からなくとも

「行かなくちゃ」と思ったというのは、そういうことなんでしょう。

このことは、きっとこの先ずっと、私の中に残るんでしょうね。

生前母が感じていたであろう寂しさを、私の中に残して行ったのだと思うことにします。

コメント

  1. あこ より:

    こころよりお悔やみ申し上げます。

    読み終わった今、お悔やみの言葉より先に頭に浮かんだのは「まみろうさん、お疲れさま」でした。
    読みながら、散々振り回しておいて、最期はひとりで逝ってしまった認知症の祖母を思い出しました。
    最期まで人の心に爪痕を残さなくても。そんなことしなくても忘れないのに…
    お母様はきっと、皆から忘れられたくなくて記憶に残るくらいのものを残して逝ったんでしょうね。
    介護、手続き、諸々大変だったと思います。
    お疲れさまでした。

    • まみろう より:

      >>あこさま

      いらっしゃいませ。
      お悔みといたわりをいただき、ありがとうございます。
      あこさんのおばあ様もそうだったんですね…爪痕を残す、本当にそのとおりで、
      これまで思い出さなかったようなことまで次々と思い出し、なかなかキツかったです。
      それでも少しずつ、泣かずに思い出せるようになってきましたから、人間って強いですよね(笑)
      コメントありがとうございます。