映画「共喰い」を観てきました

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2日連チャンで映画を観に行くのはいつぐらいぶりかしらん。

昨日の「夏の終り」に続き、本日は菅田将暉くんが主演した「共喰い」を観てきました。最寄りの映画館では やってなかったから、大宮まで行っちゃったよ。

「共喰い」は2012年に芥川賞を受賞した、田中慎弥氏の同名小説が原作。

受賞コメントがかなり生意気というか虚勢を張ってる?みたいな感じで、印象的でしたね。あれで名前を覚えた人も多いんじゃないのかな。

さてさて、15歳未満は見られないことになっている「共喰い」。お察しの通り、子どもには見せられない場面が続く続く。田中裕子さん以外の出演者の皆さん、脱ぎっぷりがすごくて感服です。

全くもって、沈痛な映画だったわ~。でも、嫌いじゃないわ~。

生き物がもつ「自分の子孫を残すことに対する執着」と、人間だからこそ感じる「欲しくない素質を継承してしまう恐怖」って、相反するようでちゃーんと人の中にあるものなのよねぇ。

あらすじがどう、ということでなく、閉塞感ぎゅうぎゅうの中で膨らみつづける性的なエネルギーの表現が、なんだか大島渚の映画みたいでした。

ってそんな表現は、映画を作っている方に失礼なのかも知れませんけどね。唯一無二のものを作っているんだし。でもなんかちょっと、そんな感じだと思ったのよ。

原作はわりと短く、濃密な話が淡々と進んでいくんですけど、映画の方もその雰囲気を保っていましたねぇ。小説にはない「その後」が映画には描かれていて、話としては映画の方が分かりやすく親切な印象がありました。

さてここからちょっとネタバレよ。※性的な話が苦手な方は読まないことをお勧めします。

 

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菅田くん演じる主人公の遠馬(とおま)は高校生。最近関係するようになった彼女の千種(ちぐさ)と、お神輿蔵にしけこんだりしつつ、父親と、父の愛人の琴子さんと一緒に暮らしてる。

遠馬の父親には行為の最中に女を殴る性癖があり、それが原因で、実の母親の仁子さんは家を出て行ったんだけど、川ひとつ隔てた、家から見えるようなところに住んでる。

そうやって薄汚れた川のそばで、むごい性癖を持ってる父を嫌悪しながら遠馬は生きてるんだけど、一方ではそのむごい行為が、自分を興奮させることにも気づいてるのね。

で、彼女に自分の欲望をぶつけてるうちにうっかり首を絞めて拒絶されてしまい、父の愛人である琴子さんも妄想の対象にしてしまったりして、思春期特有のものとはいえ、遠馬くんはかなり痛い状況になっていきます。

 

爆発しそうな性的エネルギーと妄想から逃れようと、父親も買っている娼婦の元に行った遠馬は、そこでやっぱり娼婦を殴っちゃう。そしてやっぱり興奮しちゃう。

自分はやっぱりあの父の子だ、俺はずっと女を殴り首を絞めて生きて行くのか、相手が千種であってもか、と苦悶する遠馬。

朝から晩までヤることしか考えてない、みたいな描写が続いて、そのあたりがもう、まさに大島渚(笑)

結局、妊娠した琴子さんは祭りの夜に家を出て行く。同じ日に、千種に境内で待っている、と言われたけど、自分は千種を殴るに違いないと考える遠馬は行かない。

琴子さんが出て行ったことを知った父は、琴子さんを探しに出て行くんだけど、その途中で遠馬を待ってた千種を見つけ、あろうことか殴ってレイプ。

子供たちが呼びに来て、ボロボロになった千種を見つけた遠馬は、千種を仁子さんのところに連れて行く。千種の状態を見た仁子さんは、

「うちが最初に殴られたとき、殺しておけば良かった」

と言って、父親を殺しに行く。父親は仁子さんに殺され、仁子さんは逮捕され刑務所に入ってしまう。

 

と、原作はここで終わってるんだけど、映画の方は更に先がありました。

原作を読んだ限りでは、遠馬はそのままこの町で暮らすのか、千種とは終わってしまうのか?ここまでの体験をしながらも、遠馬はやっぱり女を殴る男になってしまうのか?が提示されずに終わるけど、映画ではその答えが用意されていました。

映画の方が、原作よりも分かりやすく、感情移入しやすかったように思います。

映画ならではのラストは、原作も読んだ上で観て欲しいと思うなー。私にはとても納得のいく終わり方でした。

しかしねー、光石研さん演じる遠馬の父親が、もーとにかく不思議なヤツなんですよ。女を殴るっつっても行為の最中だけで、普段から粗暴なわけでもない。遠馬のことなんて、まともに叱ったこともなさそうに見えるし。

真面目に働いてるふうにも見えないけど、どうにかして金は稼いでいるらしく、遠馬の部屋も不足なくモノが揃ってる。つまりは困った性癖を除けば、普通のお父さんに見える。しかもこの父ちゃん、女が自分の子を妊娠している間は殴らない。

なんだよそれ!(激怒)

ほんとにね、この父親 困った人には違いないんだけど、完全に悪ってわけでもなく、小悪党なの。これが普段から女も息子もボコボコ殴ってるようなヤツなら、もっと早く刺されて死んでるんだろうけど、そうじゃないから

「生かしておいては世のためにならん」

と思うほどでもない。

なので、トチ狂って千種を襲うまでは、誰にも殺意までは向けられていないのよね。

 

仁子さんが殺しに行くのも、千種をズタボロにされた遠馬が殺してしまうのを止めるため、というより、夫婦としてけじめをつけるため、のように思える。

困った性癖を持った、かつては愛した男を自分の手で殺すのが、仁子さんの母性の表れに思えるのですわ。

そう考えると、琴子さんが遠馬の父と暮らしていたのも母性なのか?妊娠したことで、すりかえの母性でなく本物の母性が目覚めて去ったのか?

とも思えて、男の子視点の話ながら、テーマは実は女の中にある母性なのではないかと思ってみたりもしました。

↑↑↑↑↑ ここまで ↑↑↑↑↑

 

仁子さん役は田中裕子さんで良かったわー。若いころからうまい人だったけど、この映画での「お見通し感」はハンパない。

菅田くんは台詞のイントネーションにちょっと違和感があったけど、表情がものすごく良かった。父を嫌悪し、土地を嫌悪し、父の血が流れる自分を嫌悪しながら、自分じゃどうにもできないという八方ふさがりな感覚がうまく出てたと思います。

大人になる途中にあるよね、そういう、自分の中に得体の知れない、抑えが利かなくなりそうな欲求が、ボタボタと したたり落ちるような感覚があるとき。頭ではおかしな事だと分かってるけど、今にもコントロール不能に陥りそうな、爆発しそうな感覚ね。

構造的に男の方がそういう感覚に陥ることが多いんだろうけど、まぁ女にも少なからずあるね。だから分からないでもないよ。

地理的な「ここから出て行けない」感覚と、生物学的な「この人の子である事実から逃れられない」感覚が絡む濃密な映画でした。カップルで観るのはおすすめしない・・・な。うん。

原作を読んでから観るのをおすすめしまーす。

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