楽園 あらかじめ失われた楽園に棲む、私たち

スポンサーリンク

身内に、どうしようもないろくでなしがいたら、どうするべきでしょうね。

人に危害を与えたり、騙したり、酷いことを散々しても反省などせず、おのれの欲望のみを追求して生きるような人間が、自分の近い身内にいたら。

幸い、そんな状況にはおかれたことがないので、想像するしかありませんが、それでもその心中には計り知れない苦悩と葛藤があるだろうと感じます。

宮部みゆき氏の「楽園」。

「模倣犯」の主人公、前畑滋子が遭遇するある事件。

しかしそれは、「模倣犯」の時のように進行形ではなく、もう終わった事件に関することだった。

いつもながら感心する、見事なストーリーテリング。

家族の絆、人を信頼することの意味を描かせたら、現在宮部氏の右に出るものはいないのでは?

しかしこの作品、正直言って「模倣犯」の続きと思っては、読まないほうがいい。

がっかりするからです。

つながりは前畑滋子が囚われている、「過去に怪物と対峙し、しかし被害者を救えなかった自分」との闘いだけ。

「模倣犯」はもう完成してしまった怪物と善良な普通の人の対決だったけど、この「楽園」には怪物が生まれ出る理由について掘り下げられているといえるでしょう。

怪物が生まれるには、「怒り」がキーワードになっている。たとえそれが見当違いの怒りでも。

そして怪物に育ちあがっても不思議のない環境にあった敏子おばさんが、怪物どころか菩薩のような人になったのは?

その描写にこそ、「楽園」のタイトルの意味があると思います。

人にとっての楽園は、あらかじめ失われている。

しかし生きているうちに、人はそれぞれの楽園を必ず見つけ出す。たとえそれが一瞬のものでも。

それにしても、自分の子どもが怪物に育ちあがってしまったら、どうするべきなんでしょうね。

スポンサーリンク

コメント